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午前9時半ころ伊予大洲駅に到着しました。今日は松山城にも行く予定なので時間制限があるため急いでお城に向かいます。しかし道に迷いそうになりタイムロス。城の方向は理解しているつもりでしたが、道が微妙な角度で交わっているため方向がわからなくなりました。なんとか駅から20分ほどかけて肱川にかかる肱川橋へ到着。橋からは天守閣が望めます。ところでこの写真、なんとなく岡山城に似ている気がするのは私だけでしょうか?
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肱川橋を渡り川沿いを城方面へ進むと苧綿櫓(おわたやぐら)があります。天保14年(1843年)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。元はもっと低いところにありましたが、昭和34年(1959年)に洪水に備え石垣を2.6メートルかさ上げしています。
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苧綿櫓は、石落としに窓が設けられているのが特徴です。
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天主群を南から撮影しました。このあたりは二ノ丸に当たります。
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天主群を西から撮影しました。前の写真と同じく二ノ丸に当たります。
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坂を上ると本丸になります。天守閣は二つの二階櫓と渡り櫓でつながった複合連結式となっており堂々とした造りになっています。左から高欄櫓、天守閣、台所櫓です。高覧櫓は万延元年(1860年)、台所櫓は安政6年(1859年)に再建されたものでいずれも重要文化財です。天守閣は平成16年(2004年)に残された絵図や天主雛形を参考に忠実に復元したものです。
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天守閣のアップです。お気に入りの一枚で、下見板張りの黒、漆喰の白、樹木の緑が青空に映えます。天守閣には千鳥破風、向唐破風、火頭窓が多く使われ賑やかなつくりになっています。火頭窓は二層目にのみ使用されており、それ以外の層では使用されておらず珍しい造りとなっています。
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天守閣内部二階です。天守閣復元に当たって建築基準法で定められた木造建築物の高さ制限をオーバーしてしまったようで、当時の建設省や愛媛県と2年近い調整の末、例外として復元が認められました。係りの方は「鉄筋コンクリートにすればもっと安く、簡単に作ることはできました。でもそれでは面白くないし、価値もない。どうしても木造で造りたかった。この天守閣も200年も残れば重要文化財になれるでしょう」と話してくれました。平成の城郭建築として末永く残ってほしいものです。
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天守閣二階の火頭窓から高欄櫓を覗いてみました。
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台所櫓の鯱です。
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最上階から伊予大洲駅方面を撮影しました。写真中央の橋は予讃線の鉄橋です。見ての通り、肱川からはかなりの高さがあり、天守閣の風通しは非常に良く、涼しいを通り越して寒いくらいでした。
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二の丸の石垣です。この上にかつては二の丸御殿がありました。天守閣の石垣は整備されて新しい感じがしますが、こちらは昔のままといった趣です。
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下台所です。大洲城に残る当時の建物は重要文化財となっている四つの櫓とこの下台所です。城内の食料庫だったと言われています。隣の建物は大洲市民会館です。
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三の丸南隅櫓です。天守閣とはかなり離れたところにあり、住宅地の中に残されています。大洲城に現存する最古の建物で、明和3年(1766年)に再建されたもので、重要文化財です。蔓草に覆われた石垣と、剥落した漆喰が時の流れを感じさせます。とは言っても貴重な建物なので修繕をしてほしいものです。
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肱川と天主群です。
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天主群を有名なアングルから撮影しました。右から高欄櫓、天守閣、台所櫓となります。
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肱川沿いから本丸を見上げてみました。建築物に目が行きがちですが、野面積みの石垣も見応えがあります。
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帰途に着きます。再び肱川橋を渡り、今度は川沿いを通って伊予大洲駅に向かいます。そのとき肱川越しに北から天主群を撮影しました。写真を拡大するとお分かりになると思いますが、川岸から数えて五段の石垣の上に本丸があり、なかなか迫力のある光景になっています。
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