感想など
・アクセス
山形城はJR山形駅から徒歩15分程でアクセスの良さは抜群です。
奥羽本線(山形新幹線)が中堀脇を通り大手橋の下を潜っており、電車内からの風景もこの城の名物ではないでしょうか。
・感想
広大な平城で現在三ノ丸は市街地化されていますが、二ノ丸以内だけでもその規模を実感できます。
中堀は現存し、内堀の一部が復元されていますが、明治以降の一時期は内堀がすべて埋め立てられており広大な兵営地だったことでしょう。
東日本の城ということでふんだんに石垣は使用されていませんが、城門付近は石垣が築かれています。
その規模はなかなかのもので、中でも復元された二ノ丸東大手門は規模が大きく、一見すると総石垣の城と思ってしまうほどの威厳があります。
多くの大名が城主となった山形城、最上氏時代の石高は57万石、最後の城主である水野氏時代の石高は5万石であり、石高はずっと右肩下がりでした。
そのために城の維持が困難になったというのも納得の規模です。
なお、山形城は二度目の登城だったりします。前回は天気が悪く納得行く写真が撮れなかったためお蔵入りとなっていましたが、今回その一部を使用しています。
登城記
1. 二ノ丸東大手門周辺
正面
渡櫓門と高麗門
高麗門と北櫓
高麗門正面
枡形から見た渡櫓門
渡櫓門門扉と鏡柱
渡櫓門裏面
土塀と控え柱
二ノ丸東大手門は二ノ丸の大手門で、江戸城の諸門に匹敵する規模を誇ります。
水堀から立ち上がる石垣も見事な野面積みの高石垣で、ここだけ見ていると総石垣の城に来たような錯覚を覚えます。
正面に高麗門、左側に渡櫓門と続櫓が逆L字型に、右側に北櫓が位置しており、これらの間を土塀で繋いで桝形虎口を形成しています。
渡櫓門の幅は約32メートルあり、それにともない枡形も巨大な空間となっています。
枡形は軍学上は右折れが理想とされていますが、左折れの枡形となっています。面白いことに土塀には攻撃用の鉄砲狭間や弓狭間が一つもありません。
地形上の制約はなさそうなので右折れの枡形にもできそうですが、狭間がないことも考えるとあえて防御力を抑えたのでは?と勘ぐってしまいます。
また、その規模の割には幕府形城郭に見られる窓上下の長押がなく格式が低くなっています。
東大手門を現在の形にしたのは譜代大名の鳥居忠政ですが、巨城であるがゆえに幕府へ遠慮していたのかもしれません。
現在の建物は明治初年に解体されたものを平成3年(1991)に古絵図、小写真、発掘成果をもとに復元したもので、内部は一般公開されています。
日本100名城スタンプもここにあります。
2. 最上義光銅像
最上義光公之像
最上義光公之像アップ
最上義光公之像と二ノ丸東大手門
二ノ丸東大手門を潜ると正面に「最上義光公之像」が設置されています。
北の関ヶ原合戦と言われる慶長出羽合戦で西軍方の長谷堂近辺に陣取った上杉家の直江兼続軍と対峙した姿をイメージしたものです。
デザインは山形市出身の西村忠氏、制作も山形市の株式会社西村工場によるもので、重さは3トンあります。
なにより目を引くのは馬の後ろ足だけで立っていることで、世の中に騎馬像は数あれどたいていは後方を岩や尻尾で支えています。
このように完全な二本足で屹立している像は世界的にも珍しく、山形の鋳物職人の高度な技術が駆使されています。
その証拠に東日本大震災でもびくともしませんでした。
銅像の周りの植え込みが不整形になっていますが、これは山形城三ノ丸の輪郭を型どっているとのことです。
昭和52年(1977)に設置され40年以上たっていますが、手入れが行き届いているのかとてもきれいな状態です。
黄金の兜の前立て、フェラーリの跳ね馬を思わせる躍動感、一目見てわかるそのカッコよさは必見です。
3. 本丸一文字門周辺
全景
内堀
高麗門正面
枡形から見た渡櫓門石垣
渡櫓門石垣裏面
本丸南東隅には本丸大手にあたる本丸一文字門があり右折れの外桝形虎口となっています。
山形城本丸は明治時代の兵営地建設のため、石垣は破壊され内堀も埋められましたが平成10年(1998)から復元工事が始まりました。
現在までに内堀が半分ほど(水堀であったが空堀として)、本丸一文字門周辺の石垣、土塀、高麗門、一文字大手橋が復元されています。
ただ、渡櫓門については復原に必要な写真や立面図等の史料が見つかっておらず現段階での復元は難しいようです。
最終的には内堀の完全復元を目指しているようです。
4. 本丸
本丸御殿井戸
本丸
本丸土塁
内堀
本丸は144×133メートルのほぼ方形で建物は御殿と櫓のみで天守はありませんでした。
発掘調査の結果、礎石建物跡や掘立柱建物跡などが見つかりましたがこれらは最上氏が山形城主だったころのものです。
山形城では元和8年(1622)以降の鳥居氏以後の姿を基準として復元工事を行っていますが、本丸中央部では明治時代以降の削平により鳥居氏時代の遺構は失われていました。
江戸時代に入ってからの本丸御殿の井戸跡も見つかっていますが、井戸ということでその深さから完全に削平されずに残っていたようです。
今後はさらに調査範囲を広げて鳥居氏時代の遺構の有無を確認するとのことです。
5. 南門周辺
裏面
山形城全景
枡形跡
表面
南門は二ノ丸南面中央に位置する門で、構造は本丸東大手門と同様の左折れの桝形虎口でしたが、規模は若干小さかったようです。
ここでは発掘調査で見つかった渡櫓門へ登るための雁木が復原(一枚目写真の右側に写っています)されています。
一枚目写真に写っている高層ビルは山形駅直結の霞城セントラルビルで、高層階からは山形城を見下ろすことができ輪郭式の縄張りの様子がよくわかります。
前回登城時の写真を2枚目に掲載しました。
6. 西門周辺
表面
枡形
全景
中堀
西門は二ノ丸西面、屈曲部に位置する門で右折れの桝形虎口となっています。もっとも枡形が小さいため食違虎口に近い印象を受けます。
石垣は廃城後一切修理を受けておらず、往時のままの堅牢な石積みを残しています。
7. 北門
全景
表面
北門は二ノ丸北面の中央に位置する門で、左折れの内枡形で、さらに外枡形を設け、三つの門から構成される山形城随一の堅牢さを誇る門でした。
北不明門とも呼ばれ通常は閉ざされていました。
現在は車道整備のため真正面の桝形石垣は破壊されています。