海から小田原を見てみよう

私の好きな某番組のタイトルをパクってみました。

10/25(土)に小田原ガイド協会主催「海から見る小田原・真鶴〜相模湾から眺める富士・箱根・丹沢〜」が行われました。普段は真鶴から三ツ石のあたりまで運行している遊覧船で小田原方面まで行ってみようという企画です。海から小田原を見る貴重な機会ということで参加しました。
真鶴から早川のあたりまではまとまった平地はほとんどなく、海から直接山が立ち上がる地形が続き、その先に足柄平野が広がります。海から見ると小田原もなかなか都会に見えるから不思議なものです。背後には街を抱くように箱根連山、丹沢山が望めます。
この日は残念ながらガスってて伊豆大島や三浦半島は見ることが出来ませんでした。富士山は少し見えましたがすぐ雲に隠れてしまいました。条件が良いと城山から利島が見えることもあるので、船上からはどこまでの眺望があったのでしょう…

真鶴港の周りは良い意味で神奈川県とは思えないのんびりした雰囲気です。

真鶴 遊覧船のりば

真鶴 遊覧船のりば

普段は城などの建物ばかり撮っている私ですが、遊覧船を追いかけてくるカモメを良い感じに撮ることが出来ました。

カモメその一

カモメその一

カモメその二

カモメその二

写真中央の大きな山は明神ヶ岳です。小田原から見える箱根の山々の中でもそのボリューム感からひときわ目立ちます。歌川広重の小田原宿の浮世絵でもこの山が描かれています。(もしかしたら左どなりの明星ヶ岳かもしれません…)

海から見た小田原その一

海から見た小田原その一

小田原もここ十数年で10階建て程度の中層マンションがずいぶんと増えました。こうやって見ると海側に多くのマンションが建っていることがわかります。目を凝らすと小田原駅の駅ビルも見えます。

海から見た小田原中心街その一

海から見た小田原中心街その一

海から見た小田原中心街その二

海から見た小田原中心街その二

なかなか見ることが出来ない海からの小田原城です。市街地からは周囲の建物に埋もれがちですが、海から見ると遮るものがないため存在感があります。江戸時代の旅人もこのような風景を見ていたのでしょう。

海から見た小田原城天守その二

海から見た小田原城天守その二

海から見た小田原城天守その一

海から見た小田原城天守その一

早川から酒匂川にかけてのパノラマ写真を作ってみました。サイズが8400×1200と大きいため右クリック→新しいタブで開いてください。
海から見た小田原(早川から酒匂川まで)

赤木城と熊野市観光

運良くゴールデンウィークが10連休となったため、紀勢本線の乗りつぶしも兼ねて紀伊半島をぐるっと周ってきました。
その中のメインイベント、公共交通機関利用での赤木城登城+おまけの様子をご紹介します。

赤木城は築上の名手、藤堂高虎が豊臣秀長の家臣時代に築いた城で、規模こそ小さいですが、藤堂高虎築城術のルーツとして城ファンの関心を集める城です。
また、最寄りの鉄道駅から20キロ近く離れた山の中にあることから、全国の城の中でも到達するのが困難な城のひとつとしても有名です。
一応周囲にバス路線はあるのですが、一日数本レベルです。最寄りバス停は熊野市バスの田平子で、赤木城から徒歩15分ほどのところにあります。時刻表は以下のとおり。

平谷方面
13:30
19:00

紀南病院方面
07:31
14:16

平谷方面がこの当たりの中心駅である熊野市駅方面から来るバスになりますが、出発地が紀南病院で熊野市駅からは直通していません。また到着時間が13:30になるので次の逆方向のバスまでの時間が45分しかありません。よって田平子バス停のみで往復するのは難しいという結論に至ります。

こんなときに頼りになるのが某ルート検索サービス。毎月300円払って利用しているのですが、運良くこのあたりを走る熊野市バス、三重交通バスに対応していました。
そこで時間を細々と変更しながら検索し、なんとか実現できそうなルートを決定しました。ルート地図は以下になります。


より大きな地図で 赤木城と熊野市観光 を表示

この旅程をご紹介します。

・前日に熊野市に入りホテルで宿泊

(01) 08:28 熊野市駅前 発 [三重交通バス 南紀01-1 新宮駅行] に乗車
写真を撮り忘れましたが、熊野市駅前特産品館の前にあるバスのりばから出発です。

(02) 08:49 阿田和端地 着
国道42号線沿いにある阿田和端地バス停の目前には七里御浜と熊野灘が広がります。降りた場所で熊野市バス瀞流荘行に乗り換えます。

七里御浜と熊野灘

七里御浜と熊野灘

(03) 09:04 阿田和端地 発 [熊野市バス 瀞流荘紀南病院線 瀞流荘行] に乗車
海岸線を離れ山に入っていきます。コミュニティバス的な小さなバスに乗り換えます。

(04) 09:34 千枚田・通り峠入口 着
阿田和端地から30分ほどですが、だいぶ山奥に来ました。途中の道は側面がそそり立つ崖となっておりバスが通るのがやっとの部分もあり「なんかすごいところに迷い込んじまった」感がありワクワクします。

千枚田・通り峠入口バス停からの風景

千枚田・通り峠入口バス停からの風景

人がいる気配はありませんでしたが、バス停近くには小さな観光案内所のような建物があります。ここ以降赤木城まで、自動販売機はありませんでした。
写真右の橋をわたると右側に今回進む道が続いています。Google Mapではこの道は載っていませんが、某ルート検索サイトを信用して進みます。道はコンクリートで舗装されており歩きやすいです。

千枚田・通り峠入口の観光案内所?

千枚田・通り峠入口の観光案内所?

(05) 10:00ころ 熊野古道・通り峠ルート入り口
千枚田・通り峠入口バス停からコンクリートで舗装された道を20分ほど進むと、県道40号線に合流します。ここには小さな駐車場とトイレがあります。そして、目の前には急な坂道があり、ここが熊野古道・通り峠ルートの入り口になります。まさか某ルート検索サイトが熊野古道をルートとして提示してくるとは思わず、しばらくそこでスマホを見ながら確認をしていましたが、まちがいなくこの石畳の道を指していす。

(06) 熊野古道・通り峠ルート
今回の登城は舗装された道路のみで完結すると思っていたのですが、ここでまさかの巡礼道を歩くことになります。城同様に歴史の香りがするものは大好きなので、これは一石二鳥ということで喜んで進み始めました。杉の木立の間に苔むした石畳が続く非常に雰囲気の良い場所ではあるのですが、想像以上に勾配が激しく、存外歩きづらい。考えてみれば峠というくらいなので当然なのですが…昔の人はここを草履で歩いていたのですから本当に大したものです。

熊野古道・通り峠ルート その1

熊野古道・通り峠ルート その1

熊野古道・通り峠ルート その2

熊野古道・通り峠ルート その2

熊野古道・通り峠ルート その3

熊野古道・通り峠ルート その3

熊野古道・通り峠ルート その4

熊野古道・通り峠ルート その4

普段全く運動をしない私が休み休み20分ほど歩くと、通り峠に到着します。
通り峠は吉野方面へと向かう「北山道」の入り口にある峠で、かつてはここから海を望むことができたそうです。通り峠ルートは山林を直線的に抜ける約1キロメートルのルートで、写真のように石畳もよく残っており、峠には子安地蔵が祀られています。

通り峠の子安地蔵

通り峠の子安地蔵

通り峠からは脇道があり、170段の階段を登ると、丸山千枚田を眼下に一望できる展望台があります。
平地がほとんどないこの当たりでは、人々が一粒でも多く米を収穫したいとの思いで棚田を開墾しました。その中のひとつが丸山千枚田です。慶長6年(1601)にはすでにその数は2000枚を超えるほどになっており、昭和40年代半ばまではその規模が維持されていました。しかし、その後の稲作転換政策や過疎化・高齢化の進行で放棄される棚田が増え、平成初期には530枚までに減っていました。近年になり丸山地区の人々が荒廃していく丸山千枚田を憂い保存会を結成。徐々に棚田を復活させ現在は1340枚になっています。
藤堂高虎が赤木城を築いた天正期、文禄期にはすでに多くの棚田があったと思うと、感慨深いものがあります。

眼下に広がる丸山千枚田

眼下に広がる丸山千枚田

約1キロメートルの熊野古道・通り峠ルートを約1時間かけて抜けました。某ルート検索サービスはたぶん高低差や道の整備状況などは考慮していないのでしょう。千枚田・通り峠入口バス停から赤木城まで徒歩1時間10分ほどで到着となっていましたが、まだ半分しか来ていません。途中で休んだ時間を差し引いても、ちょっとこの時間での到着は無理な気がします。それとも私の体力が低すぎるのか…平地で舗装された道であればこれくらいの時間でいける気はします。

(07) 11:30ころ 赤木城の案内版を発見
熊野古道・通り峠ルートからは舗装された比較的平坦な道路をひたすら歩きます。途中何台かの車を見かけましたが歩行者は私のみでした。30分ほど歩くと道路の分岐点に赤木城の文字を発見!だいぶ近づいてきました。

赤木城案内板

赤木城案内板

(08) 11:40ころ 田平子処刑場跡・田平子峠
分岐点から先程まで歩いてきた道路より細めの道路を10分ほど進むと、赤木城とともに国指定史跡となっている田平子処刑場跡があります。
もともと藤堂高虎がこの地に入った理由のひとつが一揆の鎮圧だったわけですが、その鎮圧の現場のひとつがこの田平子処刑場跡になります。天正と慶長に起こった北山一揆で処刑された村人の数は513名に上ると言われ、道路建設の際にはたくさんの人骨が発見されたそうです。高虎は赤木城が完成すると村人に祝儀に来るように命じ、祝儀に来た村人を捕らえ、ここで打首にしてその首を晒したと言われています。「行たら戻らぬ赤木の城へ 身捨てどころは田平子じゃ」という里歌が今に伝わっています。

田平子処刑場跡

田平子処刑場跡

田平子処刑場の少し先が田平子峠になります。写真の左側に田平子バス停があり、写真右の道路を下ると赤木城にたどり着きます。熊野古道・通り峠ルートを抜けた跡は比較的平坦な道路が続いていましたが、ここから赤木城までの道路はそこそこの勾配が続きます。

田平子峠

田平子峠

田平子バス停

田平子バス停

(09) 12:00ころ 赤木城到着!
千枚田・通り峠入口バス停から2時間半ほど歩いてようやく赤木城に到着しました。

赤木城

赤木城

赤木城には土産店や管理事務所等はなく、あるのは自動販売機ひとつです。そこで久しぶりに見たmiuを一杯。あれ?昔はAQUARIUSみたいな味だったんだけど、ただのミネラルウォーターになってる…
城を見学していると初老の夫婦から「おお、早いね。もう着いたんだね」と声を掛けられました。どうやら追い越された車から目撃されていた模様。まああんなところを一人で黙々と歩いていれば目立つのも納得です。
城をゆっくり見学し、西郭でのどかな風景を眺めながらのんびりと遅めの昼食(おにぎり2つ)を食べました。天気が良くて本当に良かった。
ちなみに私がいた約2時間の間に6人ほどが城を訪れましたが、どの人もすぐ帰ってしまい、1時間半くらいは貸切状態でした。
赤木城の登城記は“こちら”をご覧ください。

・13:50ころ 赤木城出発
帰りは14:16 田平子発のバスに乗るので、登り坂ということもあり余裕を持って出発しました。

(10) 14:16 田平子 発 [熊野市バス 瀞流荘紀南病院線 紀南病院行] に乗車
再び熊野市バスに乗ります。乗客は私一人でした。
運転手さんによると赤木城で使用されている石材は、近くの北山川から調達してきたらしいです。なるほど、確かに赤木城まで歩く間に北山川の支流と思われる小さな川がいくつもありましたが、どこも大きめの石が露出しており、石材の調達には困らなそうです。

(11) 14:23 小栗須 着
最後のバス乗り換え地です。乗り換えバスまでは30分ほどあるので城郭検定公式問題集を読んで時間をつぶしました。

小栗須バス停から田平子峠方面を望む

小栗須バス停から田平子峠方面を望む

・14:52 小栗須 発 [熊野市バス 熊野古道瀞流荘線 木本高校行] に乗車
ここで乗ったバスは普通の路線バスと同じ大きさのバスでしたが、例のごとく最後まで乗客は私一人でした。
このバスに乗れば40分ほどで熊野市駅前に到着しますが、まだホテルに戻るには時間が早いので熊野市の名所に寄り道をすることにしました。熊野市駅前から2つ手前のバス停、(12) 松原で下車し「獅子岩」まで歩きます。

(13) 15:35ころ 獅子岩
松原バス停から少し歩くと海岸沿いに続く国道42号線に突き当たります。朝にバスで通った道路です。
そこから右を見ると、海岸に小さな岩山が見えます。これが獅子岩です。しかし獅子を見るためには反対側まで行く必要があります。反対側に行くと想像以上の獅子振りに少し感動しました。だいたいこういう”岩系”のものは、そう見えなくもないという感じがなのですが、確かにこれは獅子です。奥の大きな岩が阿行、手前の小さい丸い岩が吽形と呼ばれています。これらは熊野市の山奥にある大馬神社の狛犬とされており、大馬神社には狛犬がないそうです。ですが、この奇跡の造形は少し角度を変えると消えてしまい元の小さな岩山に戻ってしまいます。
近くの海岸には5月ということで、たくさんの鯉のぼりが泳いでいました。

獅子岩

獅子岩

違う角度から見た獅子岩

違う角度から見た獅子岩

海岸の鯉のぼり

海岸の鯉のぼり

(14) 15:55ころ 花の窟神社
獅子岩から400メートルほど歩くと日本最古の神社ともされる花の窟神社があります。
祭神は皇祖神である天照大神の母神である伊奘冉尊(いざなみのみこと)、その子神の火の神・軻遇突智(かぐつち)神です。伊奘冉尊は、日本神話で国生みをしたあのイザナミです。伊奘冉尊は軻遇突智神を産んだ時に火傷を負って亡くなり、この地に葬られたとされています。
御神体は境内にある巨大な岩山そのもので、そのため本殿は建てられていません。御神体ということで写真撮影は控えましたが、巨大な岩山の中央に割れ目があり、そこが岩で塞がれているように見え、確かにお墓のような印象を受けます。この岩山の中になにかあるのか、あるいはなにもないのかはわかりませんが、神話と現実の交錯点といった感じで不思議な気分になりました。

花の窟神社

花の窟神社

16:40ころ 熊野市駅
少し寄り道をしましたが、出発点に帰って来ました。おおよそ8時間の道のりでしたがローカルバスあり、巡礼道あり、秘境(?)の名城あり、日本最古の神社ありの充実した1日でした。赤木城まで公共交通機関でたどり着いたということで、どんな城でも行けると少し気が大きくなっている今日このごろです。

上田市塔めぐり その2

安楽寺に引き続き今度は前山寺に向かいます。

前山寺は上田鉄道別所線、塩田町の駅から南にひたすら歩くこと約30分、距離にして約2.5キロメートルの位置にあります。多少の山登りもあるため結構疲れます。まあ歩いて行く人もあまりいないのでしょうが…

・前山寺三重塔
前山寺三重塔は室町時代初期に建てられました。高さ約20メートルで、屋根はこけら葺となっています。最大の特徴は2重目、3重目に扉も窓もなく、周りに廻縁がないことです。それもそのはず、実はこの三重塔は未完成と言われています。
しかし、未完成とは言いながら全体としてみると、不自然さは感じられず、安定と調和を保っています。
日本では昔から建物は完成した瞬間から老朽化が始まるとされており、あえて未完成とすることでいつまでも残ることを願ったのかもしれません。確か日光東照宮の陽明門も、柱を一本だけ逆に設置して未完成状態にしてあったような…

前山寺三重塔1

前山寺三重塔1

前山寺三重塔2

前山寺三重塔2

前山寺三重塔3

前山寺三重塔3

前山寺本堂

前山寺本堂

上田市塔めぐり その1

上田城登城(登城記はこちら)のため、色々と調べ物をしていると、実は長野県上田市は塔の宝庫だということがわかりました。上田市内には以下の塔があります。

・安楽寺八角三重塔(国宝)
・前山寺三重塔(重要文化財)
・信濃国分寺三重塔(重要文化財)

時間の都合上すべては回れませんでしたが、安楽寺八角三重塔と前山寺三重塔に行ってみました。

・安楽寺八角三重塔
安楽寺は上田電鉄別所線の終点、別所温泉駅から歩いて15分ほどのところにあります。
別所温泉は信州最古の温泉地で、鎌倉時代に北条氏が別院として使用していたため、その保護により大いに栄えました。
そのため、現在でも鎌倉時代の建物や石塔が数多く残り、「信州の鎌倉」と呼ばれています。

安楽寺に残る八角三重塔は、建立年代は明らかではありませんが、鎌倉時代末期というのが定説になっています。北条氏の供養塔として建てられたものと伝えられています。高さは約19メートルですが、半分近くが「相輪」と呼ばれる頂上の飾りであり、かなり小ぶりな印象を受けます。四重の塔に見えますが、初重の屋根はひさしに相当する「裳階(もこし)」です。最大の特徴は平面が八角形であることです。八角塔は記録では京都や、奈良にあったことがわかっていますが、現存するのはこの塔のみで、極めて貴重なもので堂々の国宝に指定されています。長野県の山奥(失礼!)ににこのような立派な建物が残っていることに驚きました。
重要文化財は意外とたくさんあるのですが、国宝はその中でも特に貴重なもののみに与えられる称号で、国宝を見ることができ大満足でした。

安楽寺八角三重塔1

安楽寺八角三重塔1

安楽寺八角三重塔組物

安楽寺八角三重塔組物

安楽寺八角三重塔2

安楽寺八角三重塔2

安楽寺八角三重塔と紅葉

安楽寺八角三重塔と紅葉