小田原城御用米曲輪発掘調査現地説明会(2014年3月8日)

現在、小田原城の御用米曲輪では史跡整備のための発掘調査が行われています。今年最初の現地説明会が3月8日(土)に行われました。

本説明会の後、第5次調査で御用米曲輪の西から南にかけて確認された戦国時代の遺構は保存のため埋め戻されます。戦国小田原城の貴重な遺構の数々を直接目にすることが出来る最後の機会となりました。今後も御用米曲輪の発掘調査は引き続き行われますが、ひとつの区切りを迎えたと言ってよいでしょう。
これまでの発掘成果ですでに埋め戻されているものもあり、今回はまだ見ることが出来る戦国時代の遺構についてのまとめ記事としました。写真は過去のものも混ざっているのでご了承ください。これまでの説明会については以下をごらんください。

第1回(2012年2月4日)
第2回(2012年8月18日)
第3回(2013年2月16日)
第4回(2013年10月19日)
第5回(2013年11月23日)
第6回(2013年12月21日)

  • 切石護岸の池
    第5次調査最大の目玉がこの切石護岸の池です。御用米曲輪の南端に位置し、調査範囲内だけでも外周45メートル以上あり、周囲を湾曲させて岬や入江の景色を作り出しています。最大の特徴は護岸に石塔(五輪塔や宝篋印塔)の部材を、二次的な加工を加えながらきれいに並べてタイル上に貼り付けていることで、これは全国にも類例がなく大きな話題となりました。池底から16世紀後半の「かわらけ」が出土しており、北条氏時代に造られたものと考えられています。石塔の部材を意識して使用しており、他に類例がないことから北条氏独特の文化や美意識があったのではないかと考えられています。また、使える石材は墓石であろうと使用していることから当時の人々の価値観を考える良い資料にもなります。池底からは舟の木材も発見されています。
    切石敷きの池
    切石敷きの池
    舟の木材
    舟の木材
    出土した石塔の部材
    出土した石塔の部材
  • 切石敷きの庭園
    切石敷きの庭園は御用米曲輪の南側、昨年の調査で確認された庭状遺構とつながるものです。こちらも切石護岸の池と同様に、地面に多角形の切石をタイル上に敷き詰めています。切石は「鎌倉石」と呼ばれる三浦半島の凝灰岩、「風祭石」と呼ばれる箱根の凝灰岩、安山岩で造られています。一部は江戸時代の土坑によって破壊されていますが、その規模は最大で東西6メートル、南北9メートルになると考えられています。黄色い「鎌倉石」と黒い「風祭石」を幾何学的に加工し、モザイクのように不規則に組み合わせている点は近代的な印象さえ受けます。ところどころに置かれた安山岩の巨石が目を引きます。中央には井戸のような穴があり、切石から水を落としていたとか、通路として用いられたなどさまざまな説がありますが、その目的はわかっていません。切石護岸の池と同様に全国的にも類例がないことから北条氏が斬新な発想を持っていたことを示す貴重な遺構です。
    切石敷き庭園
    切石敷き庭園
    切石敷き庭園
    切石敷き庭園
  • 切石敷きの井戸
    御用米曲輪の南西部では切石敷きの庭園と同様に、切石を用いた井戸が確認されています。井戸は直径0.8メートル、円礫を4メートル以上積み上げた石積み井戸で、周囲には井戸を囲むように約2.5メートル四方に切石が敷かれています。切石には「鎌倉石」と「風祭石」が使われており、極めて丁寧な作りであるため特別な井戸であったと考えられています。発掘範囲の奥にあるため近くから見ることが出来なかったことが悔やまれます。
    切石敷井戸2
    切石敷井戸2
    切石敷井戸1
    切石敷井戸1
  • 礎石建物群と石組水路
    御用米曲輪の南西部、切石敷きの井戸の周囲には建物群が広がっていたようで、建物跡が10棟以上確認されました。最も大きな建物は7間(12メートル)以上の規模がある礎石建物です。これらの建物の周囲には溝や石組水路、石列が整然と配置されています。これらの遺構を境に砂利や玉石が敷分けられており、それぞれ役割や敷地の性格の違いを示していると想定されています。
    南西部の建物群跡
    南西部の建物群跡
    石組水路
    石組水路

これまでの第5次調査の結果から、戦国時代の御用米曲輪は庭園や礎石建物を備えた非常に格式の高い空間であったことが想定されています。全国でも類例のない切石を多用した作庭方法は北条氏独特の文化として「北条切石文化」と呼んでも差し支えないかもしれません。
また、戦国時代の大名居館としては大友氏館跡、大内館跡、一乗谷朝倉氏関連遺跡などが有名ですが、御用米曲輪のように内部の構造が垣間見えた例は極めて稀です。これらのことから文化庁や専門家の方々からも大変希少な遺跡であるとの評価を得ており、北条ファンとしては嬉しい限りです。

これまでの貴重な発掘成果が再び埋め戻されるのは残念ですが、貴重だからこそ埋め戻す必要があるのでしょう。400年ぶりの「お目見え」に立ち会えたことを幸運に思います。今後も御用米曲輪での発掘調査は続きますが、これから何が見つかるのか全く想像ができません。次の説明会が楽しみです。

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