KemaAkeの全国城めぐり

平戸城 ひらどじょう
別名 亀岡城、日の岳城
形態 平山城
築城年 宝永元年(1704)
築城者 松浦棟(たかし)
主な城主 松浦氏
所在地旧国名 肥前
所在地 長崎県平戸市岩の上町1458
アクセス 松浦鉄道、たびら平戸口駅
↓徒歩(約10分)
平戸口桟橋バス停
↓西肥バス[平戸桟橋行き](約15分)
平戸市役所前バス停
↓徒歩(約10分)
登城口

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九州のバス時刻表
アクセスレベル ●徒歩でのアクセスレベル
☆☆☆
概要 ●安土桃山時代
豊臣秀吉の家臣、松浦鎮信(法印)が慶長4年(1599)に現在の城地に日ノ岳城の築城を開始した。
●江戸時代
日ノ岳城完成間近となった慶長18年(1613)、鎮信は突如として城に自ら火を放ち破却した。これは鎮信が豊臣氏と親交が厚かったため、徳川幕府の信任を得るためとも、嗣子、久信の死に落胆したためとも言われているが理由は定かではない。
この地に再び城が築かれるのは四代藩主松浦鎮信(天祥)の時代で、天祥は幕府に願い出て元禄16年(1703)に日ノ岳城の跡地に築城を許可された。
実際の築城は五代藩主松浦棟によって元禄17年(1704)に始まり、宝永4年(1707)にほぼ完成した。天守は築かれず、二の丸の乾櫓をその代用とした。これが平戸城である。江戸時代中期に築城が許可されるのは極めて異例のことである。
●明治時代以降
明治4年(1871)の廃藩置県により廃城となり、城の建物のほとんどが解体された。このとき解体されずに残されたのが現存する狸櫓と北虎口門である。
昭和37年(1962)、模擬天守が建てられ、見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓、懐柔櫓が復興された。現在、城地は亀岡公園として整備され市民グラウンドなどの施設が設けらている。
遺構 普請:石垣
作事:狸櫓、北虎口門
天守:昭和37年築、鉄筋コンクリート造の模擬天守
登城日 2011/08/11
2023/10/14

登城記
各写真をクリックすると大きな写真が表示されます。この画面に戻る場合はブラウザの戻るボタンを使用してください。各写真の下の番号は城の地図と対応しています。赤い番号は写真の撮影対象の場所を示し、青い番号は写真の撮影場所を示します。

1. 平戸湾越しに見る天守と櫓群
平戸湾越しに見る天守と櫓群
城の地図:撮影場所1
平戸市役所前バス停で下車し、少し北に向かって歩くと平戸湾に面した広場があります。そこから撮影した天守と櫓群です。
左から見奏櫓、沖見櫓、天守です。平戸湾はかなり小さく、湾というよりは入り江といった感じで、湾越しに城を眺めてもその姿を充分確認することができます。
2. 北虎口門
北虎口門
城の地図:撮影対象1
北虎口門
北虎口門は宝永4年(1707)に完成した渡櫓門で、二の丸の北西に位置しています。後世に改造された部分が多いですが、平戸城に残る数少ない現存建物のひとつとして貴重なものです。また、北虎口門の扉は現在、天守内部に展示されています。
北虎口門の脇には狸櫓があり、少し離れたところに復興された地蔵坂櫓があります。地蔵坂櫓は二重櫓として復興されてますが、古絵図によると平櫓だったようです。
3. 狸櫓
狸櫓
城の地図:撮影対象2
北虎口門の脇には狸櫓があります。北虎口門と同様、平戸城に残る数少ない現存建物のひとつです。現在内部は小さな郷土資料館になっており、農耕機具などが展示されています。この櫓、本当の名前は多聞櫓ですが、以下の伝説のため狸櫓と呼ばれています。

この櫓の床下に狸が済んでいたが、床の修理のため床板を全部はがした。すると狸が小姓に化けて松浦藩主の寝床にやってきてこう言った。
「私達一族を櫓に住ませてください。そうすれば私達一族は永代に渡ってこの城を守ります。」
これを聞き松浦藩主は床を元のように戻したところ、狸がずっと住み着いた。
この狸の一族は今も城の近くの松浦家で、昔の約束通り旧家を守っており、扶持米(餌)も貰っているとか…
4. 天守
天守
城の地図:撮影対象3
天守
天守は昭和37年(1962)に建てられた鉄筋コンクリート製の模擬天守です。平戸城には天守は建てられず、二の丸の三重櫓(乾櫓)を天守の代用としていました。
現在の天守の位置には二重櫓があり、天守の下に二重櫓の櫓台を見ることができます。天守内部は郷土資料館となっています。
天守周辺には沖見櫓、見奏櫓、本丸門などがありますが、いずれも復興建築です。中でも驚いたのは沖見櫓で、内側の壁がなくちょっとした休憩所のような造りになっています。復興建築とはいえ、もう少ししっかり造ってもよかったのでは…と思ってしまいます。
天守
5. 天守最上階からの眺め
平戸の街と平戸湾
天守最上階には廻縁があり、本土と平戸島の間に架かる平戸大橋や平戸の街、平戸湾、玄界灘を見ることができます。平戸城の廻縁のフェンスは他の城に比べてかなり低く少々怖いですが、視界が遮られません。
写真から小じんまりとした平戸の街と平戸湾の様子がおわかりいただけると思います。
玄界灘方面
6. 幸橋
幸橋
城の地図:撮影対象4
幸橋は城下を流れる鏡川に掛けられた橋で、寛文9年(1669)に平戸藩主松浦鎮信(天祥)により木造で造られました。その後元禄15(1702)に松浦棟により石橋に架け替えられました。架け替えにあたっては、かつて平戸にあったオランダ商館の石像建築に携わった石工から伝授された技法が用いられたと言われています。このことからオランダ橋とも呼ばれています。
写真集
新馬場石垣
新馬場石垣
本丸門
本丸門
城の地図:撮影対象5
本丸門石垣
本丸門石垣
本丸に残された礎石
本丸に残された礎石
平戸大橋と懐柔櫓
平戸大橋と懐柔櫓
地蔵坂櫓
地蔵坂櫓
城の地図:撮影対象6
地蔵坂櫓
地蔵坂櫓
二の丸乾櫓
二の丸乾櫓
城の地図:撮影対象7
二の丸乾櫓
二の丸乾櫓
平戸口桟橋から平戸城を見る
平戸口桟橋から平戸城を見る
城の地図:撮影場所2

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