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いきなり電車の写真です。今回の旅の目的のひとつに四万十グリーンラインこと予土線に乗って、四万十川の清流を見てみたい!というものがありました。そのため、高知から予土線の終着駅窪川に向かい、そこで写真のワンマンカーに乗り換え美しい四万十川沿いを進みました。そして高知から4時間ほどかけて宇和島に到着。高知から宇和島へは直通特急が運行されていないため時間はかかりますが、のんびりした雰囲気でよかったです。
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先日の高知とはうってかわって天気に恵まれました。例のごとく荷物をホテルに預けてお城へ。と、その前にもうお昼なので商店街のイタリア料理店でアンチョビのペペロンチーノを食べました。少し歩くと天守閣が見えてきました。
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宇和島藩の家老である桑折氏の武家屋敷の長屋門です。屋敷跡に残されていたものを昭和27年(1952年)に移築したものです。江戸中期のころの建物だそうです。一部は失われていますが、貴重な武家屋敷の建造物です。往時はこのあたりに三ノ丸御殿がありました。しかし、お城の入り口にあると城門と勘違いしてしまいそう…
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長屋門から階段を上っていくと、井戸丸門跡があります。城内に三つある井戸のうち最も重要な井戸を守っています。
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井戸丸門跡の野面積みの石垣です。
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井戸丸の井戸です。井戸の直径2.4メートル、周囲8.5メートル、深さは役11メートルあります。井戸丸は三の丸からの上り道に当たり、数少ない城山の遺構です。
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井戸丸の次から階段を上り、分かれ道を右に進むと三の門跡です。
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さらに階段を上ると二ノ丸です。二ノ丸から天守閣を撮影しました。写真下が三の門跡になります。往時は二ノ丸には御算用矢倉が建っていたのみで御殿はありませんでした。二ノ丸がかなり狭い(本丸の三分の一くらい)ので建てられなかったのでしょうか?
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一の門跡です。階段の上が本丸になります。本丸もあまり広くないため御殿はありませんでした。そうすると宇和島城の御殿は三ノ丸御殿のみということになります。
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天守閣です。1666年(寛文6年)に伊達宗利によって建てられた、層塔型の天主です。1枚目はよく撮られる西からのアングルではなく、北西から撮影してみました。
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天守閣の北東からのアップです。小さい天守閣ですが、千鳥破風や軒唐破風、向唐破風で飾られ、装飾性が高いため太平の世を象徴するものと評されています。
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向唐破風と千鳥破風をアップで撮影。
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天守閣を後にして山を下り、上り立ち門方面へ向かいます。途中藤兵衛丸があり、現在そこには城山郷土館が建っています。左側の蔵風の建物は三ノ丸にあった武器庫を移築したものです。
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雷門跡です。
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長門丸から雷門跡を望む。
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さらに下ると状態の良い石垣がありました。代右衛門丸の南角矢倉跡の石垣です。
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途中で振り返ると三段の石垣が折り重なった迫力の光景がありました。一番上のひときわ高い石垣は代右衛門丸の石垣です。青いシートが見えますが、石垣の保護工事のものです。竹をはじめとした植物と苔むした石垣群が織り成す幽玄の美といった感じです。(パンフレットに書いてありました)
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上り立ち門です。城山南側の追手道口に位置しています。武家の正門とされる薬医門形式で作られており、創建年代が宇和島城築城時の慶長期まで遡る可能性がある貴重な門です。
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