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静岡駅北口前の御幸通りをまっすぐ10分ほど歩くと、右手に静岡県庁の立派な建物が見えてきます。駿府城跡を整備した駿府公園はこの県庁の裏側にあります。写真は三ノ丸大手御門跡で、奥に見える大きな建物は静岡県庁の建物です。
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二ノ丸御門跡から見た二ノ丸堀です。現在、駿府城の堀は三ノ丸堀(外堀)の約半分と、二ノ丸堀(中堀)が残っており、本丸、二ノ丸、三ノ丸が同心円上に配置された典型的な輪郭式の縄張りとなっています。堀幅は、同じく天下普請で築かれた大阪城や名古屋城ほど広くなく、こじんまりとした印象を受けます。石垣が崩れてブルーシートがかけられている部分がありますが、これは2009年8月11日に発生した地震によるものです。静岡市で震度5強を記録したこの地震で、三ノ丸堀、二ノ丸堀の石垣の一部が崩れたため、修復工事を行っているところでした。
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復元された二の丸巽櫓と二ノ丸東御門です。巽櫓は全国でも珍しい二重のL字型の櫓です。現在の巽櫓は、寛永12年(1635年)に天守閣や本丸御殿とともに焼失し、寛永15年(1638年)に再建された姿を目指し、平成元年(1989年)に木造復元されたものです。
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二ノ丸東御門と二ノ丸巽櫓です。東御門は二ノ丸の東に位置する主要な出入り口で、手前の一の門を高麗門、奥の二の門を渡り櫓門および多門櫓として、コの字で枡形を囲む堅固な造りになっています。主に重臣の出入り口として使用されていたようです。現在の東御門は、巽櫓と同じく、寛永15年(1638年)に再建された姿を目指し、平成8年(1996年)に木造復元されたものです。門の背後にそびえる高層ビルは、静岡県庁別館です。このビルの展望台は一般に開放されており、無料で利用できます。展望台からは駿府城を一望することができるということで、楽しみにしていたのですが、残念なことに時間が遅いのか、日が悪いのか休みのようで、入ることができませんでした。
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正面から見た二の丸東御門です。石垣も修復されたもののようで、上部と下部では色が異なっています。
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二ノ丸東御門の櫓門です。石垣は打ち込み剥ぎです。
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二ノ丸東御門の鯱です。大御所の御城ということで、瓦にはお決まりの葵の紋が施されています。
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二ノ丸東御門内部に展示されている天守の模型です。東御門と巽櫓の内部は資料館になっており、駿府城と城下の模型など、駿府城に関する資料が展示されており、入り口では家康公が出迎えてくれます。写真のとおり駿府城の天守は、珍しい構造をしており、大きい天守台の上に一回り小さい天主が建てられ、周りを多門櫓が囲む構造になっています。天主下層部には回縁が設けられ、御殿風の建築になっていました。でも、模型の通りだと天主下層部は日当たりが悪そうです。
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発掘された二の丸東御門の鯱です。慶長12年(1607年)に築かれた東御門の大棟にのっていた雄鯱と考えられています。昭和44年(1969年)の二ノ丸整備工事の際、東御門前の堀底から大量の瓦や建築資材とともに発見されました。寛永12年(1635年)に東御門が焼失した際に、そのまま放置されたものでしょうか?
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巽櫓一階の内部です。
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発掘復元された本丸堀の一部です。本丸堀は明治時代に、陸軍歩兵連隊を置くために埋め立てられましたが、現在、一部が復元されています。堀幅は約23メートルから30メートルで、深さは約5メートルありました。石垣は打ち込み剥ぎです。
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本丸堀越しにみた二ノ丸東御門と二ノ丸巽櫓です。夕日でオレンジ色に染まっています。
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天主台跡です。“天主台跡”ということなのでなにも残っていません。通常の城では建物は破却されても、天主台は残っていることが多いのですが、駿府城では天主台まで跡形なく破却されています。本丸堀と同じく、明治時代に陸軍歩兵連隊を置くため解体されたそうですが、ここは徳川家の牙城…明治政府にとっては最大の敵…もしかしたら私怨で徹底的に破壊したのでは?などと考えてしまいます。
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本丸跡のほぼ中央には徳川家康の銅像が建っています。家康は鷹狩りを好んだそうで、この銅像も鷹を手にしています。
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二ノ丸水路です。この水路は本丸堀と二ノ丸堀をつなぐもので、本丸堀の水を外へ流す目的で築かれています。幅約4.5メートル、江戸時代の深さは約4メートル、長さは約95メートルあります。水路の底は一部に石が敷かれており、底が洗い流されないように工夫されています。石垣の下部は家康築城当初の石垣と考えられ、貴重な遺構です。
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二ノ丸北御門跡です。
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北側に残っている三ノ丸堀です。
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三ノ丸堀の石垣の一部で、写真のように明らかに積み方が異なっている箇所を発見しました。右側の石垣は跡から築かれた、あるいは修築されたものかもしれません。
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