小田原 歴史的町名碑めぐり その四

小田原 歴史的町名碑めぐり その三の続きです。

これまでの小田原 歴史的町名碑めぐりは以下をご覧ください。
小田原 歴史的町名碑めぐり その一
小田原 歴史的町名碑めぐり その二
小田原 歴史的町名碑めぐり その三

048 御厩小路(おうまやこうじ)2017/12/02撮影
「御厩小路は、西海子小路がこの小路に交差する地点の西側に位置し、地名の由来は小田原藩の馬屋があったことによる。小田原城主稲葉正則がここに馬を見に来たという記録も残されている。この小路は、熱海街道の起点でもあった。」

048-01-01_御厩小路
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048-01-02_御厩小路
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049 御花畑(おはなばた)2017/12/02撮影
「この地には、もと小田原北条氏の家臣松田氏の屋敷があった。江戸時代、藩主稲葉氏は寛永十一年(一六三四)、京都に上る将軍徳川家光を御花畑の客室に迎えて宴を催したり参勤交代で通る大名の迎賓館として、また弓・水泳など自信の鍛錬の場として使った。その後、大久保氏の時代には武家屋敷となり、その末期には長屋や藩の御作事小屋も建てられた。」

049-01-01_御花畑
049-01-01_御花畑
049-01-02_御花畑
049-01-02_御花畑

050 天神小路(てんじんこうじ)2017/12/02撮影
「この地は、「貞享三年御引渡記録」(一六八六)に初めて御花畑小路の名で表れ、その後、天神小路と呼ばれた。地名は、東海道を隔てて北方にある天神社に由来する。道の両側は武家地で中級の藩士が住んでいた。なお、御花畑小路の名は、西海子小路から御花畑入口までの短い区間の呼び名として残った。」

050-01-01_天神小路
050-01-01_天神小路
050-01-02_天神小路
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051 諸白小路(もろはくこうじ)2017/12/02撮影
「この地名は、小田原城主稲葉正則の時代、この地に上方(かみがた)の杜氏(とうじ・酒造の職)を招いて諸白酒(もろはくしゅ・よく精白した蒸米と麹米で醸造した酒)を造らせたことから生まれたといわれている。道の両側は武家地で、中級の藩士が住んでいた。」

051-01-01_諸白小路
051-01-01_諸白小路
051-01-02_諸白小路
051-01-02_諸白小路

052 狩野殿小路(かのどのこうじ)2017/12/02撮影
「地名の由来については、この小路に絵師の「狩野古法眼」が住んでいたとも、また小田原北条氏の家臣、狩野氏宅があったとも、伝承されてきた。江戸時代、この一帯は、中級の藩士が住んでいた。なお、この地は、狩野小路(かのうこうじ)とも呼ばれ、金殿小路(かなどのこうじ)とも書かれた。」

052-01-01_狩野殿小路
052-01-01_狩野殿小路
052-01-02_狩野殿小路
052-01-02_狩野殿小路

053 西海子小路(さいかちこうじ)2017/12/02撮影
「さいかちの木が立っていたことからこの名が由来するという説がある。江戸時代末期に中級の家臣十八軒の武家屋敷が道の両側に並んでいた。」
このあたりは現在の小田原市南町の一帯で、小田原文学館などもある高級住宅街です。西海子小路の通りは、道の両側に桜の木がたくさん植えられており、春になると桜のトンネルができ、小田原でも有数の桜の名所となっています。

053-01-01_西海子小路
053-01-01_西海子小路
053-01-02_西海子小路
053-01-02_西海子小路

054 水主長屋(かこながや)2017/12/02撮影
「江戸時代、稲葉氏が藩主であったころ、この地に御船小屋と並んで水主長屋(加子長屋)があった。しかし、これが地名となったのは、いつごろか不明である。江戸時代末期、ここは藩士の家一軒、長屋三軒の他に水車小屋(車屋)があった。なお、この地を、水主屋敷とも呼んだ」

054-01-01_水主長屋
054-01-01_水主長屋
054-01-02_水主長屋
054-01-02_水主長屋

055 安斎小路(あんさいこうじ)2017/12/02撮影
「この地名は、地内に小田原北条氏の侍医田村安斎(栖)宅があったためといわれている。小田原北条氏四代の氏政と弟の氏照は、豊臣秀吉の小田原攻めに敗れた後、この家で自害させられたと伝えられている。」
現在、北条氏政、氏照の墓は小田原駅前のおしゃれ横丁内にありますが、切腹の場所はこのあたりだったようです。
なお余談ではありますが、この石碑のすぐ近くに「レロア」というパン屋さんがあります。お値段は少々張りますが、とても美味しいパン屋さんです。デニッシュやお菓子系のパンがたくさんおいてあり、甘党の方にはオススメです。海岸も近いので、ここでパンを買って海を眺めながら食べるのも良いかもしれません。

055-01-01_安斎小路
055-01-01_安斎小路
055-01-02_安斎小路
055-01-02_安斎小路

056 安斎町(あんさいちょう)2017/12/02撮影
「町名の由来は、町内に小田原北条氏の侍医田村安斎(栖)宅があったためといわれている。この町は、欄干橋町と筋違橋町との境を東海道から南へ折れ、安斎小路に至るまでの横町をいう。」

056-01-01_安斎町
056-01-01_安斎町
056-01-02_安斎町
056-01-02_安斎町

057 茶畑町(ちゃばたけちょう)2017/12/02撮影
「江戸時代前期の文書に初めて町名が見られるが、その由来は明らかではない。町内には郷宿(ごうやど-藩役所などへ出向く村人が泊まる宿屋)があり、海に近いこともあって、漁業・廻船業者なども住んでいた。」

057-01-01_茶畑町
057-01-01_茶畑町
057-01-02_茶畑町
057-01-02_茶畑町

058 町組(まちぐみ)2017/12/02撮影
「地名の由来は、町奉行配下の町方同心組の長屋があったためといわれる。この地は、江戸時代の始め蔵屋敷であったが、後に同心小屋や町同心長屋と呼ばれ、小田原城絵図の一つである「天保図」(一八三九)には、町組長屋の名が見られる」
今回の石碑めぐりで、一番わかりにくい場所がこの「町組」の石碑でした。車一台が通れるほどの通りから、さらに住宅街の中に入った袋小路にあります。正直、こんなところに石碑を建てても近辺の住人以外は絶対に見ることがないだろうという場所です。

058-01-01_町組
058-01-01_町組
058-01-02_町組
058-01-02_町組

059 南横町(みなみよこちょう)2017/12/02撮影
「南横町は、中宿町と本町との境を東海道から南へ延び、代官町の西端部を通る横町である。」

059-01-01_南横町
059-01-01_南横町
059-01-02_南横町
059-01-02_南横町

060 代官町(だいかんちょう)2017/12/02撮影
「小田原北条氏時代には代官小路と呼ばれていた。江戸時代、町内には魚座(魚商人の同業組合)商人が多く、魚座名主も住んでいた。」

060-01-01_代官町
060-01-01_代官町
060-01-02_代官町
060-01-02_代官町

061 千度小路(せんとこうじ)2017/12/02撮影
「小田原北条氏時代、この町は漁村であったため、船方村と呼ばれたといわれている。江戸時代においても上下の漁業、廻船業、魚商の拠点であった。なお、明治以降昭和四十三年までここに魚市場があった。」
代官町から千度小路のあたりは、古くから漁業関係者が多く住んでいたためか、現在も小田原名物のかまぼこ店が立ち並んでおり、「小田原かまぼこ通り」と呼ばれています。揚げたてさつま揚げのお店「すぎせい」がおすすめです。

061-01-01_千度小路
061-01-01_千度小路
061-01-02_千度小路
061-01-02_千度小路

062 市場横町(いちばよこちょう)2017/12/02撮影
「市場横町は、本町と宮前町と千度小路の境を抜けている横町である。この横町は、海に臨んでいるので魚座(魚商人の同業組合)の魚商が多く住み、その名のとおり魚市場が開かれていたところである。」

062-01-01_市場横町
062-01-01_市場横町
062-01-02_市場横町
062-01-02_市場横町

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