感想など
東北新幹線に乗車していると新白河駅付近で遠くに白河小峰城の三重櫓を見ることができますが、最寄り駅は在来線の白河駅となります。
白可駅は白河小峰城の三の丸跡に位置しており、ホームからも三重櫓が見えるため城まで迷うことはないでしょう。
駅の出入口とは反対側に小峰城公園はありますが、駅横に線路を潜る自由通路があるため駅からのアクセスは非常に良好です。
白河小峰城は阿武隈川と谷津(やんた)川に挟まれた標高約370メートルの小峰ケ岡とよばれる小丘陵に築かれた平山城です。
白河駅の標高が約350メートルなので比高は約20メートルほどの典型的な平山城で、梯郭式の縄張りになっています。
現在の白河小峰城は二の丸と本丸、本丸帯曲輪等の石垣が残されています。
平成23年(2011)の東日本大震災では本丸を中心とした10か所の石垣が崩落しましたが、私が登城した2018年8月時点で修復工事はほぼ終わっている様子でした。
白河小峰城のシンボルは平成に入ってから復元された天守代用の本丸三重櫓、前御門です。
これらは発掘調査や古図面を参考に伝統工法による木造復元されたもので、
掛川城や
大洲城にさきがけた平成の木造復元天守ブームの第1号となります。
本丸三重櫓は小ぶりですが、比高20メートルの丘陵の最高地点にあるため遠くからでも目立ちます。
城ファンとしては時間があればぜひ小峰城公園をぐるっと一回りすることをおすすめします。
本丸を囲む水堀が残っており、堀越に一二三段の石垣やあまり取り上げられない裏側からの本丸三重櫓を見ることができます。
駅からのアクセスも良好で、見事な石垣群と小さいながらも気品のある復元建物がある白河小峰城は城ファンでなくても楽しめる城だと思います。
登城記
1. 二の丸跡周辺
二の丸跡から本丸を見る
本丸三重櫓遠景
太鼓門跡
月見御櫓跡
二の丸は本丸の南、丘陵下の平地に設けられた広大な曲輪です。二の丸御殿は設けられず武家屋敷地となっていたようです。
ここからは北側に広がる本丸高石垣を一望できます。
二の丸から見る本丸月見御櫓台は、城内屈指の高石垣で見事な切込接ぎとなっています。
東日本大震災の修復工事によるものでしょうか、真新しい積石があり積み直しのための墨線がグリッド上に残っています。
2. 清水門跡周辺
清水門跡その一
清水門跡その二
内堀石垣
半同心円状に積まれた石垣
清水門は本丸の大手門であり、本丸南面のほぼ中央に設けられ二の丸と接続していました。
枡形を設けないシンプルな造りで、高さ約11メートル、間口約13メートルの渡櫓門となっていました。
鏡柱は城内の門で最も太く、本丸大手門にふさわしいものでした。
清水門を潜ると正面には本丸高石垣がそびえていますが、ここは白河小峰城必見スポットです。
よく石垣を観察すると石垣中央から上の目地が半同心円状に左右に広がっています。
意図的にこのような積み方にしたのは明白で、石垣築造技術の高さと遊び心をうかがい知ることができます。
この石垣は東日本大震災などをはじめこれまでに幾度となく崩落をしましたが、特徴的な半同心円状の石積みは再現されてきました。
このような積み方は他の城で見たことがなく、思わず「おおっ」とつぶやいてしまいました。
3. 本丸三重櫓と前御門
本丸三重櫓と前御門表面
本丸三重櫓南面その一
本丸三重櫓南面その二
前御門表面
本丸三重櫓と前御門裏面
本丸三重櫓を見上げる
前御門と二の丸方面眺望
本丸三重櫓西面
白河小峰城の天守代用である本丸三重櫓は三重三階の層塔型で本丸北東隅の城内最高所に位置しています。
西面には玄関となる付櫓が接続し、一重目と二重目に切妻造の張出がつき、特に二重目の張出は大きく突出しており会津若松城天守に酷似しています。
小さいながらもこれらの凹凸によって見る角度ごとにその印象は変わりますが、いずれも美しい姿となっています。
本丸三重櫓は寛永4年(1627)の築城当時を描いた「川越侯所伝之図」や「正保城絵図」など多くの資料が残されていますが、外壁についてはいずれの資料でも下見板張となっています。
この頃に建てられた多くの城の建物は白漆喰総塗籠が多いですが、この本丸三重櫓は東北地方唯一の黒漆塗下見板張の建物でした。
戊辰戦争では白河でも新政府軍と会津藩の戦いが繰り広げられ、残念なことに本丸三重櫓は城のその他の建物と同様に焼失しました。
平成に入り復元計画が立ちあがり発掘調査が行われると、櫓の礎石がほぼ完全な状態で出土しこれが川越侯所伝之図と一致しました。
また、外観や内部構造についても数多く残された絵図面や同時代の城が参考になり、平成3年(1991)に伝統工法によって見事に木造復元されました。
平成6年(1994)には隣接する前御門も同様に木造復元され、これらがいわゆる平成の木造復元天守ブームの先駆けとなりました。
4. 本丸三重櫓内部
一階
一階石落し
戊辰戦争の鉄砲弾跡
二階
二階張り出しと石落し
三階
三階小屋組み
狭間から太鼓門跡を覗く
本丸三重櫓の一階平面は6間(約11.7メートル)四方、二階は4間(7.8メートル)四方、三階は2間(3.9メートル)四方と完全に正方形で規則正しく低減しています。
層塔型天守としては珍しく中央には全長約8.5メートル、太さ約40センチメートル角の通柱が建てられ、土台から三階の床まで一本の柱で貫き、全体を支えています。
一、二階に設けられた張出には石落としが設けられ、各所に矢狭間や鉄砲狭間が設けられた実戦を想定した造りとなっています。
内部に入ると一階は広々とした印象を受けますが、三階はかなり狭く四畳半程度の広さに感じます。
一、二階の窓に比べ三階の窓は小さく開かれていますが、これは城の最高所に建ち風雨や雪の影響が過酷なため、外部にさらされる部分を減らすためです。
また、復元のための木材は戊辰戦争で白河口の戦いが繰り広げられた稲荷山からも伐採されており、戦闘時の弾丸が数多く発見されました。
天守一階の通し柱と床材、二階の腰板にはこの弾の跡を見ることができます。
5. 桜御門跡周辺
桜御門跡裏面
桜御門跡表面
桜御門跡
帯曲輪御門跡
桜御門は本丸御殿の庭部分と清水門のある本丸南側下段の帯曲輪をつなぐ門で、藩主などの出入りに利用された門と考えられています。
階段状の細い食い違い虎口で、幅2メートルにも満たないほぼ壁のような薄い石垣を見ることができます。
薄いということは裏込石等はないはずで、普通の石垣とは異なっており内部がどのような造りになっているの非常に興味深いです。
6. 水堀
本丸南西の水堀
本丸北西の水堀
水堀越しの本丸三重櫓北面
本丸北東の水堀と本丸三重櫓
白河小峰城では本丸を囲む水堀が現在も残っています。梯郭式の縄張りで南東に向かって二の丸、三の丸が展開されており北と西はこの堀の外側が城外となります。
そのため南側の堀幅は狭く、北側と西側は約30メートルの幅となっています。
北西から尾廻問跡にかけての石垣は幾度となく修復されており様々な積み方を見ることができます。
7. 尾廻問跡周辺
尾廻問跡
竹の丸跡石垣その一
珍しい組み合わせの石垣
二の丸東面石垣
尾廻問は白河小峰城の搦手門で本丸の南側と東側を囲む二の丸へ接続しています。
左折れの食い違い虎口となっており、古絵図によると石垣の間に平門を設けていたようです。
尾廻問を越え本丸東側、竹の丸の石垣を観察していると三枚目写真の石垣を見ることができます。
この状態をうまく言い表せないのですが、写真を見ていただければ違和感を覚えると思います。
これまでこのような組み合わせの石垣は見たことがなく、かなりレアだと思います。
8. 道場問跡周辺
道場問跡
道場問跡石垣
道場問跡と本丸三重櫓
駅待合室から見た本丸三重櫓
本丸から南へ約300メートル、白河駅の南側には発掘された道場門跡の石垣が露出展示されています。
道場門は三の丸の南と東を囲む外曲輪東側に開かれた平門で、屋根は柿葺でした。
ここから見る三重櫓はかなり遠く、白河小峰城の広さを感じることができます。
城の地図
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